「テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?」感想

 ツイッターでおすすめされたので一気に三話見た。去年に怪作「奥様ッソ」を送り出したスタッフによるフェイクドキュメンタリーホラー第二弾で、奥様ッソのフォーマットを使いつつも構成に梨氏を迎えて心霊ホラーに作風を振った作品だ。三話合わせて70分そこらなので気楽に見れるのもよかった。以下からまだ観れるので良かったら見てほしい。

 

tver.jp

 

 ここからはネタバレを含めた感想を書くのでそういうのナシに見たい方は観てから読むことを進めるが、個人的には今作は特にネタバレらしいネタバレもないので(というか冒頭の説明でもうネタバレだよな、スマン)別にこれを読んでからでも構わないと思っている。まあ観た人向けに書くからそういう意味でも観てないとわかりにくいかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて本作だが「実は現在進行形でヤバい事態になってるのをバラエティの枠内に無理やり収めたホラー」という人間怖い系の奥様ッソから一転し、「視聴者投稿動画(なつかしバラエティ)をいとうせいこう井桁弘恵が見たらそれが呪いのビデオで全員呪いに感染しました」というがっつり心霊ホラーの様相となっている。

 一応明確な種明かしが存在した奥様ッソと違い、今作はこれといったオチも解説もされることなくなんとなく「胎児の亡霊が当時のバラエティの司会者及びレギュラーゲストを呪い発狂状態にさせ、果てはいとうせいとうと井桁弘恵とアナウンサーの方にも感染させて終わり」ぐらいしかわからない(それだけわかれば十分か?)。まあブレアウィッチプロジェクト以来のフェイクドキュメンタリーホラー伝統芸能の「ヒントはばらまくから後は個々で考察してね」ってことなのだろう。個人的にはもうちょい明確に答えを出してほしい気持ちがあったがまあこの辺は好き好きだろう。

 とはいえ「なんで明らかに放送事故なのにお蔵入りにせずAマッソもスルーして放映したのか」の説明がないモヤモヤがあった奥様ッソに比べると、こちらは「スタッフも呪われて視聴者に感染を広げるようにしたため」という理由は一応つくので(個人的な考察だが)一概に投げっぱなしだからダメとは言えない塩梅で、この辺は前作への反省があるのかもしれない。

 

 以下は良かった点悪かった点。

 まずいとうせいこうの語りは良かった。冒頭のなつかしバラエティは恐らく武田鉄矢がなんかやるヤツ含めて全部架空なのだろうが(追記:坂谷一郎のミッドナイトパラダイス以外は実在の番組だったから一話に関してはほぼ事実を話してるっぽい)いとうせいこうがそれっぽく語ると普通に信じてしまいそうな説得力がある。あるいはアド街における山田五郎でも成り立ちそうだな。正直スタジオ構成には若干疑問が残ったものの(後述)一話二話の前半のいとうせいこうは常に茶番になる危険性のある今作のリアリティ部分の強化に一役買ってると言えるだろう。井桁弘江というチョイスも良いセンスだった。

 そして俺がマジでよかったと思う場面が第一話のセミの抜け殻パートの後の投稿動画である。構成的にもここが第一話のハイライトなわけだがこの映像のクオリティの高さに一気に引き込まれたと言っても過言ではない。

 怖すぎ。男の顔は恐らくCG処理されてると思われるが、ガビガビの画質にさらにCG処理で顔を怖くしてるのは確か「ノロイ」のクライマックスの少年の正体が黒幕と判明したパートにもあり、やはりこの手法は素晴らしい。顔の違和感に「アレッ?」と思って注視すると奥の洗濯物が落ちたり乳母車が移動したり、ジャンプスケアまでには至らない範囲でビックリさせる演出もキレが良い。正直この映像を作った一点で本作を見る価値はあったと思うくらい自分は気に入っている。その前の平和な投稿動画が徐々に不穏になってくのも良く、それらの助走からのこれが来る構成も見事だった。

 

 もう一つ良かったのは二話に登場した劇中バラエティのゲスト「映画監督の生島勉」だ。劇中バラエティ「坂谷一郎のミッドナイトパラダイス」の登場人物は二話から徐々に狂いだすわけだが、生島はまだ呪いの影響を受けてないのか奇行をしだす彼らに明らかにビビりだし挙動不審になりつつ愛想笑いでどうにか乗り切っており、本作のホラー度を上げるのに一役買っている。(生島が登場時は無頼派監督として振舞ってるのもいいネタフリになっている)ちなみに生島はニコニコ大百科にも記述がないので最後まで無事な可能性が高かったりする。がんばれ。

 この笑顔が徐々に引きつっていくのがほんまオモロい。

 自分はホラーにおいてはこうした「ビビる一般人」ポジションが好きで、例えるならタバコの箱を置くことでサイズ感がわかるみたいなそういう役割をホラーには置いてほしいと常々思っている。前作「奥様ッソ」でも自分は三話の明らかにロケ先の村が異常風習村と察し引きまくりつつも芸人根性でロケを完遂した(という設定の)紺野ぶるまのキャラが好きだったので、まあこれは個人的なフェチズムなのかもしれない。そういや確かTLではかねともの方が人気だったな。紺野ぶるま派は自分だけか?

 

 次からは悪かった、というか「オレならこうするぜ」という点。

 これを言い出すと元も子もないのだが、「実はヤバい映像をスタジオでゲストが見て語る」という構成が若干弱かった気がする。奥様ッソもぶっちゃけAマッソが一切VTRの変さに触れないとこに構成の弱さを感じたのだが、今作は「呪われる」という要素でゲストらがツッコミを入れない理由は乗り切ってるものの、そもそも劇中バラエティのゲストが狂ってる時点でオチなのにさらにスタジオの三人が狂っても結局同じこと繰り返してるだけじゃね?と個人的には思ってしまった。

 とはいえこの入れ子構造が奥様ッソがバズり今作も注目された最大の要因なのでそこをなくしたらよくあるホラーでしかなくなって話題にもならなかったのだろう。悩ましい所だ。個人的には梯子外されたまま終わるオチなら「放送禁止シリーズ」のようにシンプルな字幕だけで最低限の解説をする構成でも良かったんじゃないかあと思う(じゃあこの記事の冒頭のいとうせいこう誉めパートはなんなんだ)。

 

 でもう一つは、三話のメイン要素であるパプリカ的電波会話だが、これ多分小説で文字に起こすとわけのわからない文字の洪水を見ることになって怖いのだろうけど、映像にするとどうしても俳優たちが適当なワードをダラダラ喋ってるだけに見えて緊張感が弱まってしまった印象を受ける(ただしTLではおおむね好評で何なら梨氏の文字媒体のホラーより怖かったという意見もあった)。個人的に映画版パプリカは映像と音楽でさらにドラッギー演出を加えたのであの電波会話もヤバいものになってたので、今作ももっと思い切ってカメラワークもシッチャカメッチャカにしたらよかったかもしれない(顔アップやラストの天井アップと頑張っていた部分もあったが)

 

 あと劇中バラエティ含めた80年代映像再現はまあ頑張ってはいるものの若干作り物感はどうにも拭えないかなという印象。よくツイッターで見る80年代映像再現のクリエイターの方が上手かったな(その人らが関わってたオチだったらどうしよう)。まあでもこの辺は一話中盤のホラー展開突入以降はそう気になる部分でもないので別にノイズにもならなかった。

 

 

 というわけで考察要素や悪い点を含めても非常に楽しめたし自信をもってオススメできる作品だった。何より掲示板とかで語りたくなるような魅力がありそういう作品は好きだ。考察好きはたっぷり楽しめるだろう。今後も岸部露伴シリーズと共に毎年やってほしいものだ。あとなんか仕込みの一つのうちのニコニコ大百科の記事が荒れてるらしい。大変だな。

 

本日のツイート

ザコシなのにネタ構成が丁寧で何度も見てしまう。

youtu.be

自己紹介→歌(銀河鉄道99ED)→サビの終わりにファルセットで叫ぶ→汽笛だと言って舞台に引っ込む→OPテーマに合わせて鉄道の模型で登場(OP映像再現…実はゴダイゴによるテーマは映画版主題歌でアニメ版OPではない)→股間に当てて「イッちまいそうですわ(オチ)」までに客の意識を途切れさせず繋ぐ構成がDJの曲つなぎのようでカッコイイのだ。

この展開する際に切れ目を見せないDJ的構成はストーリーテリングに重要な気がしてならない。

 

2020年の記事だが自分のTwitterに対する不信感の理由がほぼこの記事に語られている。Twitterはコミュニケーションツールの側面が強すぎて時にそれが暴走を招くと言った具合だ。

 

theeigadiary.hatenablog.com

>コミュニケーションに「得点」を課してしまうTwitterというメディアにおいては、構造的に不可避の問題である。つまり、ユーザーの誰しもが「うまいこと言ってやろう」という欲にとらわれる可能性があり、そしていちど「うまいこと言ってやろう」と思い出したらそこから逃げるのはかなり困難(後略)

witterをやるうえで最も自分を阻害するのはこの「うまいことを言ってやろう」という欲だ。これをなくすために自分は絶対に鍵を開けない。今いる相互の人のみに伝わればいいという思いでツイートをしている。
そうでないと自身の分析や価値観が曇ってしまうのだ。

まあ、自分もまた「僕の心のヤバい奴」を読んだ後は多くの読者と同じく読後感を大げさに表現するツイートをしてしまうので人のことを言える立場ではないのだが、それでもその行為はほどほどにしておくのが良い、というくらいなら発言してもいいだろう。

「うまいことを言ってやろう」という欲に囚われすぎたTwitter民を見ると、ネタバレだがミッドサマーのラストで燃える三角の小屋を見ながら我が一番上手く嘆けるのだと言わんばかりに苦痛に呻くモノマネをする信者たちを思い出す。それをやること自体を否定はしないが、自分はなるべくはしない(了)

 

シン・ウルトラマンについて。本編を観た時の不満の一つとして斎藤工演じるウルトラマンの優雅な挙動に対し戦闘シーンが泥臭く同一人物に見えないという点があった。初代ウルトラマンの戦い方のトレースという点やある種のギャップを狙ったとしてもあまり納得いかなかったが、思えば格闘技やプロレスの選手は会見等ではクールな姿を見せてもいざ試合となれば命懸けの場でなりふり構わない闘志を見せるわけで、その意味では怪獣という危険な存在と戦う時のウルトラマンの解釈として、普段の素朴かつクールなウルトラマンが戦う時は必死に泥臭くなるというのは正しいのかもしれない。
余談だが女子プロレス団体のSTARDOMの試合を見ると、アイドル級の美人の選手が入場時までは笑顔を振りまく可愛い姿でありながら、いざ試合となると髪を振り乱し鬼の形相でコノヤローオラァと叫び戦う。シンウルトラマンもまたこういうことなのかもしれない(了)

youtu.be

youtu.be

 

 

 

ハリウッドザコシショウの造語、略語まとめ

芸人ハリウッドザコシショウが主に彼のyoutube上で使われる独特なフレーズをまとめた。その言語センスは非常に興味深い。

あえてゴース、は?、でさーねー等のコントの定番フレーズは収録せず、主にyoutubeネタ「珍棒の件」や「松本りんすのゆーしゅーぶ」で使用される内輪的な後輩いじりネタを中心に収録しました。備忘録みたいなものなので分類や説明はかなり適当です。ご容赦ください。

 

珍棒:陰茎、静岡弁らしいが真偽は不明

運棒:大便、小便はなぜかションベンのまま

3の500の5:第三のビール500mlを5本

第三偽柿:第三のビールと大手メーカーではに柿ピー

第一本柿:ビールと亀田の柿ピー

人魚のポーズ:ごろ寝

例:偽歯で偽柿食うて。頭の上には偽毛

オケラ:金がない状態

〇〇の〇〇の大〇〇:誇張表現

例:オケラオケラの大オケラ

体たらく:ザコシが後輩の怠惰を諫めるときのフレーズ

みすぼ人(ひと):みすぼらしい人

アチ鉄:あちぃ鉄

せこく、いやしく、あさましい:松本りんすのこと

シュー:小便を出す擬音。松本りんすが考案。シュシュっと等パターンあり

ガブる:酒を飲む

バカハゲ、ドカハゲ、ドカピカ:松本りんす

爺さん:松本りんす

マー観:麻雀観戦の略

ええやんええやん:松本りんすの口癖

お前俺に奢れて嬉しそうやな:松本りんすが先輩であるザコシに奢られた時の発言

この一年お前はどう売れていくねん:松本りんすの先輩に対する発言

1:月収一万円

泥酔配信:ニッチェ江上さんの家にお呼ばれし酒を大量にかっくらってゆびたんの家に帰宅、泥酔した状態で配信を始め酒乱の限りを尽くしたポコチャの配信回のこと(コメント欄より引用)

飲む吸う飲む吸うがぶり酒

あわれ酒みじめ飯

あわれ禿

海賊生活:松本りんすの破滅的な生活をみた恋人のゆーびーむ☆が「なんでそんな海賊みたいな生活してるの」と発言したのを差す

デレ配(デレデレ配信):松本りんすが彼女とデートして飲みに行った帰りの電車内で突如ポコチャの音声ラジオ配信を始め、デートが楽しくて酒が美味くて幸せでデレデレしちゃった様子を配信で垂れ流すのが前編。

後編は松本りんす自身の体たらくが原因で彼女と大きな喧嘩をしてしまい、数日間の失意の中はりんすのツイートがゼロ。ライブ配信も一切しなくなり音信が全て途絶える(コメント欄より引用)

おつび:唾

ブビる:大便を漏らす

万力:主に珍棒を潰すのに使われる

嬉しゅうて:嬉しくて

2の線:二の線、二枚目のこと。あえてアラビア数字で表現するのがミソ

だれも頼んでないのに自ら照れに行くドカピカ爺さん

無笑(むしょう):一切の笑いが起きない状態

鉄板無笑:松本りんす東京03のラジオで「お笑い界の川崎真夜です」と言った所「男前だもんね」と返されたことを差す

大説教:自分を棚に上げた説教

ドカ〇〇、バカ〇〇、大〇〇:誇張表現

補填:賭博で失った生活費を借金で補う行為

 

タダ飯何が何でもかっ喰らわな!

エブリデイ〇〇:毎日〇〇する

エブリデイ4:毎日第三のビールを四リットル飲むこと

エブリデイ4いったら即破産

給料小数点以下:一万円以下

給料完封:給料ゼロ円

大恩仇:恩義をあだで返す

アイアムファイブタイムワンデイシュー:KOCを5年連続で初戦(決勝進出者は毎回準々決勝シード権を得る)落ちしたことを差す

小数点給料:給料一万円以下

ビッグ歯形とラストマーチ:松本りんすの歯形つきビッグカツと最後の一個のコアラのマーチ

魚肉ソー:魚肉ソーセージ

 

 

愛のしるし、について

PUFFYがザファーストテイクで「愛のしるし」を歌っていたが、この曲はPUFFYが歌うと乙女心の歌に聞こえるしスピッツに歌わせるとナイーブな少年と青年の中間くらいの男の歌に聞こえるから凄い。よく考えたら歌詞に性別を感じさせる要素が一切ない。そもそも具体的な要素がない。

youtu.be

 

スピッツの歌詞は大体そうだが、歌詞に具体性がほとんどなく抽象的なフレーズを雰囲気だけで聞かせる作りになっている。10年前ならボカロの曲にそういうのが多かった。しかしスピッツ及びPUFFYが歌うとなんかうっすらと何が言いたいのかわかってくる気になってくるのである。

youtu.be

この「うっすら何が言いたいのかなんとなくわかってくる」がキモで、大抵のこの手の歌詞は「どうせ適当なフレーズで埋めただけだろ」と聞き手に思われ冷めさせがちになり、そうなると作品としては失敗となる。そうならないのは草野マサムネの作詞家としての技量なのだろう。

……と思っていたが、森七奈のカバー版を聴いたら上手いし美人だが「お前は何を言っているんだ?」感が拭えなかった。これが単なる感性を失った老害の感想なのか、あるいは前者二組の歌声がこの曲の「うっすら何がいいたいのかわかってくる」に関わっていたのか。謎である。

youtu.be

読んだ本4,5

読んだ本4「ゴング格闘技2023年1月号」

読んだ本4「ゴング格闘技1月号」 大晦日に海外団体Bellatorとの対抗戦を控えたRIZIN特集といった趣で、それぞれ選手のインタビューは読み応えあり。海外勢がみんな日本での試合を楽しみにしているのがありがたい。我らがサトシソウザとクレベルコイケも気合十分である。

個人的にはドミネーター戦でついに覚醒した平本蓮のインタビューが興味深く、ツイッター上の露悪趣味とは裏腹にドミネを破った打撃のノウハウを丁寧に語っていた。あと伊澤星花の寝技解説がやはり異次元。恐ろしいの一言。

ネット全盛ながらこういった格闘技全般を網羅する雑誌はやはり存在価値がある。あと地味に情報量が多いな。読み切るのに3日かかったわ。 とはいえこういった専門誌が休刊しないよう買い支えていかなあかんと思った。以上。

 

読んだ本5 鷲羽大介「暗獄怪談 憑かれた話」 ワッシュ(

)さんの収集した怪談を纏めた一冊(らしい)。何の教訓もなく何もかもが曖昧なまま唐突に終わる奇妙なエピソード群は読む人にじんわりとした恐怖を与える。この手の実話怪談はともすれば単なるつまらない不条理話になりがちだが、本書はしっかり面白く、内容もバラエティに富んでいて物語としての完成度が高い「永遠の魔女」や理不尽極まりない「花嫁の血」恐らく史上最速のAI生成怪談「家族写真」まさかの霊にフィジカル勝ちする「真夜中の四股」なんか変な方向に話が進む「友の形見」等。

どの話も数ページものによっては1ページで終わる超ショートショートなので気軽に読めるだろう。あえて年末年始の寒い中読むのもいいかもしれない。現在進行形で終わる最終エピソードの続報のためにも二作目三作目も出版されてほしい。(了)

読んだ本「ソクラテスの弁明・クリトン(プラトン)」「青色本(ウィトゲンシュタイン)」

ツイッターの転載

 

読書記録1
ソクラテスの弁明・クリトン(プラトン



理不尽な起訴で法廷に立たされる哲学者ソクラテスの反論という形式を通してソクラテス-プラトンの思想を表した対話篇。翻訳の現代語的な解釈もあってか内容が非常に今日的で興味深かった。特に難解な部分も無いので誰でも読めると思われる。

本作で描かれるソクラテスは道行く人に議論をふっかけて論破し「お前は適当に人生を生きてるな」と遠回しに説教して回る迷惑な老人として描かれており、そりゃ嫌われて死刑も求刑されるわと言った印象。とはいえそれは世の中を良くしたいという確固たる信念の元にあることも同時に描かれている。

弁明に描かれるソクラテスみたいな感じの人は特にツイッターによく見られるので紀元前から今に至るまで人間は変わらないものだと思った。同時に今だからこそより実感を持って得られる古典でもあるということだろう。ツイッターをやってる人は今こそこの古典を読むべきかもしれない。

実際本編のソクラテスの反証は非常に明快かつわかりやすい論法で行われており、昨今のひろゆき的な詭弁とは一線を画すものと感じた。三段論法や無知の知など現代人には常識的すぎるかもしれないが、しかし意外とこれらができないで議論を進める人は多いだろう。その意味でもぜひ読んでもらいたい(了)

 

読書記録2
青色本ウィトゲンシュタイン



哲学者L.ウィトゲンシュタインケンブリッジ大学における講義録。しかし通常イメージされる授業とは異なり、ウィトゲンシュタインが今現在取り組んでる哲学的テーマを未完成のまま語るという非常に難解な内容で、正直内容の一割も理解できたか怪しい。

自分が読んだ限りはウィトゲンシュタインは人間の日常における行動原理を哲学における言語や記号論に置き換えようと画策し、その困難さとヒントを断片的に伝えた内容と解釈した。数式のような論理が求められる哲学と一見まとまりのない日常の行動原理を融合させようとしたらしい。

とにかくわかりにくい本で、一つ一つの説明は論理的なのだがまるで取り留めのないツイート群を読んでるかのように話が飛び、断片として語られ、忘れたころに回収される非常に入り組んだ構造となっている。正直今の自分には早すぎた本だと思うが買ってしまった以上読むしかなかった。

とはいえ最初の方のリンゴを買いに行く例え等興味深いパートも多く意外と楽しく読めた。「リンゴを買いに行く」という行動をとるとき、もしその人が「リンゴ」と書かれた紙とお金を渡すことだけ考えて店に行き帰ってきたら目的は果たされてる可能性が高い。だがそこに彼の意思はないもかかわらずだ。

この事例を含めウィトゲンシュタインは人間の行動原理は記号の操作の集合体ではないかと匂わせているようだったが、正直解釈として正しかったかはわからない。また数年後読み返すつもりだ(了)